人見知りと沈黙恐怖のジレンマ

 

手との立場とか、心の距離に開きがあるほど言葉を包むオブラートって厚くなるじゃないですか。

例えば心を許した親友が『昨日のジャグラー、500円でペカッて3万になったw』とか言ってきたとしたら"うるせぇスロッカス"で終わるのに、それが取引先の総務担当者とかになると"ええーーっ!?マジっすかwwヤバいですね!!飯連れてってくださいよwww"となる感じ。

 

今のは極端な例でもなんでもなくて、日本中至る所で行われている処世術だと思うんですけど、ダンボール並に厚くなってしまったオブラートはもはやただの嘘で、この会話に本音なんか一つも無いんですよね。

 

子供の頃はなぜか大人の世界がキラキラして見えて『早く大人になりたい』とか思ってたのに、いざ大人になってみると世の中ほんと嘘だらけで、どこまでいってもハリボテで、生き辛くて。

なんかもう机の上の書類をすべて窓から投げ捨てて、床にうずくまりたくなるのです。なりませんか?ところで抱きしめてくれませんか?

 

 

 

 

は根が人見知りなので、さっきのジャグラーの話みたいなのは極力したくないんです。だって嘘付くのってストレスじゃないですか。

でも、日常で求められてる会話の85%くらいは今みたいなどうでもいい会話だってことも理解しているので、それが酷烈なジレンマになってギリギリと私を締め付けるんです。

なんの意識もせずにスラスラとこういう会話できる人、羨ましい妬ましいという気持ちを通り越して怨めしいです。

 

そんな自分の気持ちとは裏腹に人と話さなきゃならない機会が増えてきました。環境の所為か、会話を途切れさせてはならないという謎の強迫観念も生まれたんですけど、これ『沈黙恐怖症』って言うらしいです。

 

自分でも馬鹿馬鹿しくて嫌になるのですが、少し考えれば分かる事とかをいちいち質問したりしちゃうんです。
"答えありきの質問"を考えて会話を途切れさせないために兎にも角にもしゃべるしゃべる。
チャレンジャー俺、モンスターも俺のフリースタイルダンジョンが始まるんです。ほんと何なんでしょうね。おれもUZIのマネして大麻吸っちゃおうかな。

 

口から出てくるリリックでひとしきり捲し立てて相手と別れた後、『相手は今日の会話を楽しめただろうか』『無理して笑っていたのではないだろうか』と答えのない不安がみぞおちの辺りから押し寄せてきて、ドツボにはまってしまうまでがいつものワンセット。もちろん審査員も全員私なのでジャッジできないはずなのに、なぜかいつもクリティカル判定が出て、私が負けて終わり。

DJ SN-Z、頼むからこの耳障りな音楽を一旦止めてくれ。

 

 

 

 

会もストⅡくらい分かりやすかったらいいんですけどね。『殴り合って強い方が勝ち』みたいな。

逆にその方が健全だと思いません?

最近何でもかんでもややこしくし過ぎなんですよ。毎日賞金がでないライヤーゲームをやらされてる気分です。ほんと勘弁してくださいって話ですよ。そう思いません?みなさんもそう思いませんか?

 

ところで抱きしめてくれませんか?