理想的な生き様と愛想笑い
コンビニで焼き鳥買ってその辺のベンチに座って食ってた時、ハトが寄ってきた。物欲しそうに足元まで近づいて来るのかと思いきや、一定の距離で足を止めて、俺をガン見してきた。
「何ガン付けとんねん。」
負けじと俺もハトをガン見しながら焼き鳥を食ったその時、ふと思った。この状況、ハトからはこう見えているのではないか。
『自分より何十倍も身体が大きい謎の生き物が同胞を焼いて食ってる』
もしも俺が逆の立場でこの絶望的な状況に気づいてしまった時、まともに動けるだろうか。おそらく無理だ、蛇に睨まれた蛙のように一歩も動けないと思う。
圧倒的な恐怖を前にして瞳孔は開き、全身に鳥肌が立つ。なんならもう下半身は大洪水で腰を抜かし、死を覚悟するかもしれない。
そうでなくとも大抵の人は山中で熊と対峙した時のように、ゆっくり後ずさりを始めるはずだ。
そう考えると、大人気なく対抗心を燃やしたことが恥ずかしくなり、少し反省した。「どうしたの?大丈夫だよ。君のことは食べないよ。」と優しい目を向けてやればよかった。
依然として見つめてくる彼(ハト)の瞳になんとなく居心地の悪さを感じてベンチから立ち上がろうとしたとき、誤って食べかけの焼き鳥を落としてしまった。その時だった、
疾風
確かに風を感じた。
彼は驚くべき速度で走り込んできて、落ちた焼き鳥を串ごと咥えてベンチ裏手の茂みに消えた。
びっくりしすぎて最初は何が起きたのか分からなかった。ハトってあんなに速く走れるんだ。
放心から回復して状況把握できたとき、真っ先に胸の内に沸いたのは、惜しみない賞賛だった。
一連の流れに、野生のしたたかさと生き様を感じた。
初めからこれが彼の狙いだったのだ。たしかに今思えば、彼は真っ直ぐに俺を見据え、ただそこに存在していた。恐怖だなんだとゴチャゴチャ考えていたのは俺だけで、彼は"狩り"に全集中していた。そこに怯えや迷いはなかったのだ。
『貫禄』と『品格』そして『野生のプライド』
脳裏に浮かぶ威風堂々たるその姿に尊厳を感じた。
俺の生き様ってなんだ。モラトリアムを得るものなく通過して社会人となり早6年。無駄に愛想笑いだけが上手くなってしまった。愛想笑い検定なるものがあるとしたら準1級は堅いだろう。
めんどくさいと思いながら参加してた職場の飲み会にも今ではすっかり慣れた。あまり会話したこともない先輩が語るありがたいお話にも、目を輝かせて耳を傾けるマネができていると思う。
この前二次会で連れて行ってもらった少し高そうなBarで、後ろのBOX席の人が『もっと気軽に生きろよ』と誰かにアドバイスしていた。
カウンターで俺の隣に座っていた上司がそれを聞いて「気軽ってなんだろうな」と言うので、"鈍感さか無責任"と思ったけど「なんでしょうね」と呟いた。
もしかしたらこれから先も自分が理想とする生き方はできないのかもしれない。というか、自分を殺して無難に社会人として生活する以外の術を俺は知らない。
自分を出していいところと言葉を飲み込むべきところの境がシビアすぎて一歩踏み込むのが怖い。個性ってなんですか?
とりあえず、この愛想笑いの仮面はもうすこし被っておきたい。あと、叶うなら来世はハトになりたい。
好きなようにやれ そして俺に指図をするな
───UVERworld「Don’t Think.Feel」
タピオカブームとは何だったのか。
二十歳を超えたあたりから同世代の流行について行けなくなった。どうでもよくなったというか、端的にいうと疲れてしまったのだ。
この頃、巷ではYouTubeやTikTokが大流行していたのに、ずっとニコニコ動画でダークソウルRTAを見てた気がする。平日は人と話す回数よりLボタンでロックマンエグゼと話す回数の方が多かった。
流行について行くために使っていた時間は、気づいたらカウンターでガッツマンを倒す時間に変わっていた。
今でこそ気にならなくなったけど、昔は流行について行けなくて一人になってしまうのがたまらなく怖かった。
集団の中でのポジショニングとかに気をとられて、本当に自分がしたいこと、思っていることを二の次にしていたと思う。当時はそれが自分のアイデンティティの一部だった。別にそれ自体を否定するつもりはないんだけどぼんやりと退屈を感じていたのを覚えている。
ところで、最近タピオカミルクティーが日本中で大流行した。いわゆる、インスタ映えというやつを狙って写真を撮ってSNSに投稿するムーブが若年層を中心にウケたらしい。
流行はミルクティーだけにとどまらず、タピオカそのものにスポットライトが当たるようになった。表参道にはタピオカ専門店が乱立し、渋谷には「東京タピオカランド」が爆誕した。
元々私はコンビニで買える『EMIALタピオカミルクティー200g』を愛飲していたので、意図せず流行に乗れているのを感じて少しだけ嬉しかった。ただ、ブームの影響で商品が軒並み品薄になって私の元まで届かなくなってしまったのが残念だったけど、それも「より多くの人がタピオカミルクティーのおいしさに気づけるなら...」と思えた。
しかし、しばらくしてタピオカが暴力団の資金源になっていることや、タピオカが高カロリーであることを知ったインスタ映え層が食べずに捨ててしまうなどといったことがメディアに取り上げられると、一転してマイナスイメージが強くなった。
今ではあんなに並んでいたタピオカ専門店に人影は見えない。投稿しなくなったインスタグラムを開いてみたけど、タピオカを載せてるやつは一人もいなかった。
流行は誰が何のために生み出し、人はどうして乗っかってしまうのだろう。
仕事帰りに寄ったコンビニの陳列棚に、整然と並べられたタピオカミルクティーを見てふと思った。
Lボタンでロックマンエグゼが教えてくれるアドバイスがいつも少しズレてるように、Googleで検索してもきっと的確な答えは返ってこないんだろうなとか思いながらQUICPayで一つだけ購入した。
ペーブメントを歩きながら久しぶりに飲んだタピオカミルクティーは、相変わらず人工甘味料の変な味がして美味しかった。
俺とチャリとお前
はてなブログを始めてからというもの、大変お世話になっている機能がある。
『お題スロット』だ。
この"矢印ボタン"を押すと次々とお題案が出てくるので、特に書きたいことがない時や、次の記事ネタのヒントをもらうために利用させていただいている。
本日もこのスロットをポチポチしてた時に一つのお題で指が止まった。
『思い出の一枚』
━━━━━━刹那、脳に電撃が走る。
あれだ。
あれしかない。
携帯の6,500枚を超えるカメラロールから10分程かけて目当ての一枚を見つけ出した。
まずはその一枚を見ていただきたい。
これは2011年5月4日、だいたい8年前の私が中学3年生の時に撮影した写真だ。もちろん被写体本人にはブログ掲載許可を頂いている。(秒で快諾だった。)
この日は5,6人くらいで、普段たまり場になっている友達宅で遊ぶ予定だったのだが、写真で微笑む彼がとんでもない格好で登場したことで、何故か私達のボルテージが最高潮に達したため急遽カラオケに行く事になった。
話は逸れるが、私は四国のクソ田舎で幼少期から社会人まで育った。どのくらい田舎だったかというと、自宅からの片道計算で
コンビニまでチャリで15分
最寄駅までチャリで45分
カラオケまでチャリで60分
都会に住む君たちには分からないかもしれないが、カラオケまで行くのにガチで往復2時間かかる。移動時間が歌ってる時間より余裕で長い。誰が『暇だしカラオケ行こ〜』的なノリでカラオケに誘うことができるだろうか。
普段であれば、
『お前ら…行くぜッッ……!!』
このくらい気合を入れて向かう事になる。
ノリだけで決定してしまうほどボルテージが高まっていたのを理解していただけただろうか。
写真の彼と私は小・中学校を共にした幼馴染であり、小学生の時は放課後毎日遊んでいたほど気の合う親友と呼べる漢だった。
ただ私とは違い、最新のコンテンツよりも、やや古めの漫画やアニメ・ゲームが好きで、ちょうどこの頃は「今日から俺は」という不良漫画にハマってた。
今思えば、この服装も何かしらの影響を受けていたのかもしれない。
青少年のなにかと多感な時期を示す『中二病(厨二病)』という言葉があるが、私はこの言葉があまり好きじゃない。
発症するのが中学2年生とは限らないし、多くの男子が一回は患うため、一種の生理現象に近いと思うからだ。
誰しも一度はヤンキーに憧れるし、周りの女子が全員自分のことを好きになる妄想や、校内に侵入してきたテロリストを素手でボコボコにする妄想をしたりするはずだ。
ちなみにその頃私は「デッドマン・ワンダーランド」という漫画にどハマりしていたわけだが、その辺りはもう記事にしたのでこちらを見ていただきたい。
申し訳ないが、この記事にオチはない。
ただ、老婆心ながら青少年の君に少しだけアドバイスをしたいと思う。
私がこの記事を通して伝えたかった想いはひとつ。皆に等しく"そういう時期"があり、各々のアイデンティティを獲得しつつ大人になっていくという事だ。
青少年の君たちは
存分にモラトリアムを堪能したらいい。
ここが君の出発地点だ。
誰しもが通る道だが、ある意味、君だけの道を切り開いて進んでいく事と同義でもある。
たくさん寄り道をしながら、自分だけの航海図を描いていくんだ。
大人になってから学生時代の事を思い出し、枕に顔を埋めて足をバタつかせることもあるだろう。
いいんだよそれで。
なんの問題もない。
日常が落ち着いてきた時、きっと笑ってネタにできるようになってるはずだから。
以上だ。
どういう事だ。
一体なんなんだこのブログは。
誰か助けてくれ。
給食のカレーを舐めるな。
最近ニュースで騒がれている
「神戸市 教員イジメ問題」
子供を指導する立場であるはずの教員が同僚をイジメるという最悪の構図。
特に、被害者教員に加害者が激辛カレーを無理やり食べさせる動画はあまりにもショッキングで見ていて辛かった。
擁護する気は全く無いが、加害者側の教員にもかつては志があって教師を目指したはずだ。彼らはどこで道を踏み外してしまったのだろう。
《↓Twitterの声と事件記事》
優しい教師がいじめられてる動画を見たらショックだと思うわ
— Jidk⚖️いじめ🈲モラハラ🈲 PTAは任意加入 (@Jidkpb2017128) 2019年10月16日
学校内部だけの秘密にしたくても
違う学校で勤務する可能性がある限り他の地域の保護者や生徒には脅威だから実名を知りたいのは当然
https://t.co/HyiymOCUS1
再発防止はもちろん、巻き込まれた児童のケアが急がれる中、10月17日 神戸市教育委員会は驚くべき対策案を発表した。
「給食にカレー出すのやめます。」
ちょっと待ってくれ。
一体どういうことだ。
なぜ教員イジメの影響で子供達が大好きなカレーが奪われなければいけないんだ。
まさか、ハヤシライス派の陰謀か…?
調べてみたところ、
教育委員会側の言い分としては
①子供達が無理やり激辛カレーを食べさせるマネをする恐れがあるため。
②子供達がこの忌々しい事件を思い出してしまうため。
大きくこの2つの理由ががカレー中止のわけのようだ。
しかし、この措置にはある重大な欠点がある!
気づいている読者も多いだろう。
そうだ。
"子供達がカレーを食べられない"という事だ!!
待って…
ブラウザバックしないで…
1.子供がカレーライスに懸ける想いを舐めるな。
先ほどの発言の真意は、
措置を発表した教育委員会が、子供にとっての"給食のカレー"という代え難い存在の大きさに気づいてないという事だ。
多くの人間は己の内にある童心を否定しながら大人に近づいていく。社会に適合していくためのアイデンティティを獲得するというのは、つまるところそういう意味だ。
童心を否定する事なく社会で成功できる人間なんてほんの一握りだと思う。私の知るの中で思い当たる人物といえば、ZOZOTOWN元社長の前澤友作氏とジャムおじさんくらいだ。
しかし、今だけでいい。
童心を思い出して今一度考えてみてほしい。
本当に給食カレーを中止することが子供達のためになるのか?
私が小学校低学年の時の給食カレーといえば、おかわりの奪い合いになるほどの大人気メニューだった。
クラス全員が、4時間目の授業途中から漂う、香しいカレーの匂いに集中力を乱されながら授業を受けていたものだ。
私が2年生の時には普段真面目な石井君が、給食当番にムシキングのコーカサスオオカブト(レアカード)を賄賂して多めによそってもらってた。
その後、誰かが先生にチクってバレてしまい、結局石井君は下校前の終礼で晒しあげられて泣いてしまったが、それは今どうでもいい。(いや、チクったの俺じゃねーし。勘違いすんなし。)
何が言いたいのかというと、石井君にとって給食カレーとは、コーカサスオオカブト以上の価値だったということだ。
価値観に違いはあれど、基本的に小学生は石井君のようにカレーライスが大好きだ。それも熱烈に。
子供達の大きな楽しみを奪うという事を自覚して慎重に議論していただきたい。
2.カレー中止の理由、なんかおかしくない?
カレー中止理由①
"子供達がこの忌々しい事件を思い出してしまうため。"
これが分かるようでいまいちよく分からん。
確かに感受性豊かな子供にとってショッキングな事件であった事は間違いない。
ただ、それとカレーを結びつけるのは違くないか?🤔
それよりは
「教師を見るたびに思い出してしまう。」
とか、
「大人が信用できなくなってしまった。」
とかいう類のトラウマに近いのではないか。
カレーを見るたびに辛くなるのは被害者教員であって子供達ではないと感じる。
カレー中止理由②
"子供達が無理やり激辛カレーを食べさせるマネをする恐れがあるため。"
まず一つ。童心を思い出せ。
子供が自分の大好きなカレーをみすみす相手に差し出すような真似をするわけないだろ。
それに
給食カレーは激辛じゃない。
大甘だ。
危険性はない。
そもそもの話をする。
この学校の教師は何のために存在しているんだ?
万が一、子供が無理やりカレーを他人に食べさせるような真似をした際に叱ってやるのも教師の仕事じゃないのか?
職務放棄をするな。不祥事の尻拭いを子供にさせるなら教師を辞めてしまえ。
まとめ
途中から石井君に意識を乗っ取られてしまったために、文章が荒くなってしまったのを許してほしい。
神戸市教委の"カレー中止"という愚かな措置が撤回される事を祈っている。
以上だ。
偏差値37の高校生の日常
高校を卒業して今年でもう7年になるが、今でもたまにあの混沌に満ちた高校生活の事を思い出してしまう。
これを読んでくれている受験生がいるならば、人生の先輩としてひとつだけアドバイスがしたい。
今すぐtwitterをやめて勉強しろ。
そして少しでも高い偏差値の学校へ行け。
さて、聡明な読者の皆さんは「偏差値」とは何かをご存知だと思うが、念のためおさらいしておこう。
(知らなくても恥ずかしくはないぞ。私も高校を卒業するまでよく分かってなかったからな。受験前ならまだ間に合う。これを機に覚えればいい。)
偏差値は下記の式で表すことができる。
??????????
だからお前が嫌いなんだ。
そういうとこやぞ。募金してやらん理由は。
まあ、学校の入試偏差値を簡単に例えると
"50"は平均
"70"は神のみが到達できる領域
私自身、上の方を知らないからどうしても主観が入るが、だいたいこういった具合だ。
ちなみに私は偏差値37の工業高校出身だ。
入試偏差値はどんなに低くても35を下回ることはほとんど無い。
つまり偏差値37とは"すごく頭が悪い"という意味だ。広辞苑にもそう書いてある。
あえて例えるとしたら動物園とか牧場に近い。
生徒は展示動物又は家畜。
先生は飼育員。
家畜(生徒)の質は低いが、うちの学校は飼育員(先生)がとても優秀だったので、出荷率(就職希望者の就職率)はほぼ100%だった。
まあ出荷された奴のほとんどが安い給料で会社に飼いならされてしまったわけですが。
家畜だけに。
さてと。
前置きはこのくらいにして本題に入ろう。
"低偏差値高校あるある"
1.授業中に勉強しない
まず初めに言っておく。
偏差値37の高校は勉強をしに来る場所ではない。
君は動物園で勉強するか?
しないだろ。
そういうことだ。
私たちの世代では"PSP(プレイステーションポータブル)"の人気ソフト『モンスターハンター・ポータブル3rd』が大流行していた。
当然プレイする。
「やばい(モンスターが)怒った!!」
「粉塵!!粉塵早く!!!」
「よし!尻尾切った!!」
これが授業中に聞こえてくるなんて考えられるだろうか。
しばしばこの類の話をすると「そんな学校あるはずがないだろ!嘘をつくな!」と言われることがある。
しかし、返答はいつも変わらない。
残念ながら実話だ。
落ち着いて勉強するには、それなりの環境を手に入れる必要がある。
"低偏差値高校あるある"
2.無駄に校則が厳しい
飼育員(先生)がイカれた家畜達(生徒)を上手く制御するには、バッチバチにムチを入れて、マウントを取るしかない。
ただ、限度というものがある。
「ピアス禁止」←分かる。
「携帯電話の持ち込み禁止」←まあ分かる。
「くるぶしソックス禁止」←まー分かった。了解。
「ツーブロック禁止」
ちょっと待て。
なんで??
うちの高校七不思議の一つ。くるぶしソックスについてもよく分からないが、ツーブロック禁止については完全に嫌がらせレベル。
家畜相手にマウントを取ることに意識を向けすぎた結果、ついに飼育員も正常な判断がつかなってしまったようだ。
これでは飼育員ではなく、ただのマンティングゴリラである。
"低偏差値高校あるある"
3.自分の弁当が食べられない
〜ある日の昼休み〜
キーンコーンカーンコーン
「やっと授業終わった〜。腹減った、弁当食うか(パカ)」
治安が悪すぎる。
この治安の悪さは 銃が必要だ。
本当にここは日本なのか?
低偏差値高校では、私物を置いておちおちトイレにも行けない。
まとめ
これまでの記事は、当時高校生だった私の実体験を元に書いたものだ。
当然全ての低偏差値高校が"こう"だとは思ってない。
それに、なんだかんだ私は自分の母校を気に入っている。今でも交流のある友人達は、高校生活で唯一獲得した私の大切な財産だ。
しかし、受験生諸君の輝かしい未来を思って言う。やはり高校は偏差値の高いところを目指した方がいい。
将来の可能性をここで絶ってはいけない。
きっと未来の君もそう言うはずだ。
GREEってご存知ですか?
あなたは「思い出のWebサービス」と聞いて何を思い浮かべるだろうか。
世界を代表する上記コンテンツのいずれかは、読者の皆さんも一度は利用したとこがあるだろう。
全人類が何かしらの形でインターネットと関わっている現代社会で、文字通り日進月歩で発展していくコンテンツ。
日々産まれ、淘汰され、洗練されていく。
世界は素晴らしいWebサービスで溢れている。
そんな中で、私の人格形成に大きな影響を及ぼしたひとつのWebサービスを紹介したい。
皆さんは「GREE(グリー)」をご存知だろうか。
ガラケー全盛期時代に「釣り★スタ」をはじめ「探検ドリランド」、「ドラゴンコレクション」など多くの人気ソーシャルゲームを排出したあの GREEのことを。
課金することで自分自身がより強くなるシステムを通じて、当時お小遣い制だった私は本当の意味で我慢を覚えた。
汚い大人たちにさまざまな詐欺に遭うことで、用心深さ や ネットリテラシーが身についた。
※当時の代表的な詐欺といえば、物々交換詐欺。ゲーム内掲示板で「コレを送るからアレを送ってくれ」とターゲットに接触し言葉巧みに相手に先送りさせた後、速攻ブロックして持ち逃げする。マジで腹立つ。(その後、1対1の交換機能が実装されたことで改善された。)
その他にも、GREEには会員同士が交流できるSNSのような機能も備わっていたため、積極的にゲーム仲間とも交流を行なっていた。
当時私は「デッドマン・ワンダーランド」という漫画にどハマりしており、漫画の主要登場人物である"千地清正"というキャラになりきって、フレンドと交流していた。
「俺は†"クロウ"千地清正†」
とか
「ん"ぁ・・・?朝か・・・」
とか
「かっかかか!やなこった!」
とか言ってた。
中学校3年生の頃に最もなりきり活動に精を出していたが、高校に進学しリアルフレンド達との交流していく中で「こんな事してるの俺だけじゃん」という気づきを得たことがきっかけで、人よりも少し遅れはしたものの厨二病が完治した。
このように、私は生きていく上でとても大切なことの多くを、GREEから学んだ。
ありがとう。GREE。
ほんとうにありがとう。
しかしながら、最近はすっかりGREEの名前を聞かなくなってしまった。
現在の知名度について先日twitterで取ったアンケートを見てもらいたい。
GREEをご存知ですか?
— キョド (@Kyodo_style) 2019年10月15日
投票総数:3件
は い:1件
いいえ:2件
ご覧のとおり圧倒的に知名度が低いことが分かる。
twitterだけでなく生の声を聞くため、近所のマックで女子高生にGREEを知っているか尋ねたところ「は?お前だれ」と言われた。つまりその程度の知名度ということだ。
まあ無理もない。なぜならGREEというWebサービスは2011年を境に急激に衰退しているからだ。
↑株価の推移
(2011年11月 2779.00、2019年10月 496.00)
株価だけで比較するとおよそ1/6程まで事業規模が縮小したことになる。
どうして私たちのGREEはここまで没落してしまったのだろうか。
その謎をあきらかにすべく我々はAmazonの奥地へと向かった。
1.コンプリートガチャの規制
コンプリートガチャとは、かつて日本国内の特定のオンラインゲームタイトルで運用されていたマイクロトランザクション(課金サービス)の一種。略称として「コンプガチャ」という表記がメディア等も含めて用いられている。
各種ガイドライン文書上では、"ランダムで購入できる特定の2つ以上の異なるアイテムを全て揃えることを条件とした景品"等と定義される。景品表示の法律に抵触していたため、2012年6月を以て全ての運用が終了した。※ニコニコ大百科より引用
GREEの主な収入源はコンプリートガチャを念頭に置いた課金システムにあった。
先ほどの株価の推移を見ても分かるように、コンプガチャ規制(2012年5月)以降、急激に株価が下がっていることが分かる。
大規模な戦略転換を迫られたGREEに見切りをつけた株主達、エンジニア達は離れていってしまった。
事業縮小への大きなターニングポイントになった事は間違いない。
2.スマホの普及とスマホゲームの台頭
2009年6月に発売された"iPhone 3Gs"以降、ジワジワと勢力を伸ばしつつあったスマホ業界に…いや、携帯電話市場に衝撃が走る。
iPhone4S 発売。
auの参入。
世界のiPhoneが洗練されたデザインと共に圧倒的な高スペックになって日本にやってきた。
また、これまでソフトバンクの独占状態で走っていたiPhone市場に待ったをかけたキャリアが登場する。auだ。
これによりスマホ(主にiPhone)市場の競争が激化する。現在は国により規制されているが、当時は2年間契約するだけで高価な端末が0円になるだけでなく、1台契約する毎に合計8万円の現金キャッシュバックまで発生する荒れよう。
iPhoneバブル期の到来である。
また同時期、あるスマホゲームがサービスを開始する。
2012年2月
パズル&ドラゴンズ
━━━━爆誕。
iPhone普及の推進力とガラケーを主戦場に置いていた携帯ゲーム勢の衰退を足場にして、マジもんのドラゴンの如く、真っさらな戦場に舞い降りた。
パズドラは、当時の全ての男子学生が"スマホへ乗り換えたらまず最初にインストールするアプリ"と言っても過言ではない程の人気を誇った。
パズドラから死にかけの「ドラゴンコレクション」へ放たれた 滅びの爆裂疾風弾(ほろびのバーストストリーム) は、彼等を巻き込みながらGREEを破壊するには十分過ぎる一撃だった。
その後、パズドラを筆頭に「モンスト」や「ツムツムなどのLINEゲーム」が誕生し、ソーシャルゲーム市場は完全に主戦場をスマホに移した。
これがGREE没落の軌跡だ。
3.最後に
ここまで散々GREE全盛期からの没落について書いてきたが、私たちのGREEはまだ諦めてない。
スマホゲーム市場へ参入し、今は「アナザーエデン 時空を超える猫」というゲームを運営している。これはCM等で目にしたことのある読者も多いのではないだろうか。
今後もGREEの動向を見守りたい。
Webサービスは、
日々産まれ、淘汰され、洗練されていく。
素晴らしいコンテンツで溢れるこの世界で、人々が心躍らせるサービスを提供し続けるのは、本当に大変なことだと思う。
大変な努力を要し、最高の娯楽を提供し続けてくださっている全ての関係者に感謝する。